← ブログ一覧
2026-03-05
#FAX #受発注 #デジタル化 #中小企業 #DX #電子帳簿保存法

日本の受発注はなぜまだFAXなのか — 構造的ロックインの解剖


2026年の日本。

スマートフォンで銀行送金ができる。AIが法律文書を要約してくれる。自動運転車が公道を走っている。

なのに、受発注の現場ではFAXが動いている。

ファイン・アート・クオリティ……ではない。ファクシミリ。紙を送る機械。1843年にスコットランドの時計職人アレクサンダー・ベインが発明した、あの技術の末裔だ。

日本のFAX出荷台数は世界シェアの約半分を占めている。先進国の中で、これほどFAXが現役の国は他にない。


数字で見るFAXの現実

FAX利用率

総務省「通信利用動向調査」によると、日本企業のFAX利用率は徐々に低下してはいるものの、2020年代半ばの時点でもなお相当な割合が残っている。

特に中小企業の利用率が高い。大企業がメールやEDIに移行しても、取引先の中小企業がFAXしか対応していなければ、大企業もFAXを使い続けるしかない。

業界別の偏り

FAXが特に根強いのは以下の業界だ。

業界FAXが残る理由
建設・不動産図面の送付、下請けとの発注書のやり取り
製造業部品の発注、納品書の確認
卸売・小売取引先への発注、価格表の送付
飲食・食品食材の仕入れ発注(毎朝のFAX注文)
医療処方箋の送信、院外薬局との連絡
官公庁各種届出、連絡文書

共通するのは**「相手がいる」業務**だということ。自社だけの判断では変えられない。


FAXが残り続ける4つの構造的理由

理由1:取引慣行のロックイン

受発注業務には「発注する側」と「受注する側」がいる。

発注する側がFAXをやめたくても、受注する側がFAXしか対応していなければ、やめられない。受注する側がFAXをやめたくても、発注する側が「発注はFAXで」と言えば、やめられない。

これは二者間のロックインだ。どちらか一方だけでは解除できない。

しかも実際の取引は二者間ではない。1社の取引先が50社あれば、50社すべてがFAXをやめない限り、完全な脱FAXはできない。1社でもFAXを要求する取引先があれば、FAX機は残る。

チェーンの最弱リンク

サプライチェーンで考えると構造がよく分かる。

メーカー → 一次卸 → 二次卸 → 小売店

メーカーがEDIを導入しても、一次卸がEDIに対応していなければ、一次卸とのやり取りはFAXのまま。一次卸がEDIに対応しても、二次卸が対応していなければ、二次卸とのやり取りはFAXのまま。

チェーン全体がデジタル化するには、すべてのリンクが同時に移行する必要がある。1つでもFAXのリンクが残れば、チェーン全体はFAXを使い続ける。

これが「もう少し待てば自然にFAXはなくなる」が実現しない理由だ。待っていても、最弱リンクが移行しない限り変わらない。

理由2:法制度と商慣行の慣性

電子帳簿保存法

2024年1月から電子帳簿保存法の電子取引データ保存が完全義務化された。電子的に受け取った取引データ(メール添付のPDF等)は、電子データのまま保存しなければならない。

これはデジタル化を促進する法改正……に見える。だが、FAXで受け取った書類は「紙の原本」として扱われる。つまりFAXを使い続ければ、電子帳簿保存法の電子取引要件に対応する必要がない。

皮肉なことに、デジタル化に対応するコストを避けるために、FAXを使い続ける動機が法律によって生まれている。

注文書・発注書の「原本」信仰

日本の商慣行では、注文書や発注書の「原本」に強いこだわりがある。メールで送った注文書より、FAXで送った注文書のほうが「正式」と感じる経営者は少なくない。

法律上は、メールもFAXも電子メディアの一種であり、法的効力に差はない。だが「これまでそうしてきた」という慣行の力は、法律の条文より強い。

理由3:世代とITリテラシー

中小企業の経営層の平均年齢は60歳を超えている(中小企業庁「中小企業白書」)。

この世代にとって、FAXは「使い慣れたツール」だ。紙を入れてボタンを押せば送れる。送信確認書が紙で出てくる。受信も紙で来る。画面を操作する必要がない。

一方、クラウドの受発注システムは「ブラウザを開いて、ログインして、受注一覧から該当の注文を選んで、確認ボタンを押して、PDFをダウンロードして……」。ステップが多い。

FAXは3ステップ。クラウドは10ステップ。

若い従業員がいれば「慣れればクラウドのほうが速いですよ」と言えるが、従業員も高齢化している中小企業では、「慣れるまでの学習コスト」自体が負担だ。

「紙のほうが信頼できる」の心理

これは合理的な判断ではなく、認知バイアスだ。

紙は物理的に存在する。触れる。ファイルに綴じられる。「ちゃんとある」と感じる。

デジタルデータはどこにあるか分からない。クラウドの中。サーバーの中。「消えるかもしれない」「ハッキングされるかもしれない」。見えないものへの不安。

実際にはクラウドストレージのほうがFAXの紙より遥かに安全だ。紙は火事で燃える。水に濡れたら読めない。紛失したら二度と取り戻せない。クラウドはバックアップがある。暗号化されている。アクセスログが残る。

だが、安全性の比較では心理的な安心感に勝てない。

理由4:移行コストの非対称性

FAXを使い続けるコストは、見えにくい。

FAX機のリース料は月数千円。トナー代と通信費を合わせても月1〜2万円。これは「既に払っているコスト」であり、経営者が意識的に判断して支出しているわけではない。

一方、FAXをやめてクラウド受発注に移行するコストは、見えやすい。

  • システムの導入費用(初期設定、データ移行)
  • 月額利用料(明確な「新しい出費」として認識される)
  • 従業員の研修時間
  • 取引先への説明・説得
  • 移行期間中の二重運用コスト

「今のままのコスト」は見えない。「変えるコスト」は見える。 行動経済学でいう現状維持バイアス(Status quo bias)だ。

人間は「失うリスク」を「得る利益」の2倍以上に感じる(プロスペクト理論)。FAXをやめることで「使い慣れたツールを失う」リスクは、クラウド化で「業務効率が上がる」利益の2倍に感じられる。

だから変えない。


河野太郎の「FAX廃止」宣言

2020年、当時行政改革担当大臣だった河野太郎が「霞が関のFAX廃止」を宣言した。

結果はどうなったか。

2021年6月、一部の省庁からFAXを残す要望が出て、完全廃止は撤回された。「感染症の状況報告」「災害時の連絡」など、FAXでなければ対応できないとされた業務があったためだ。

中央省庁ですらFAXを完全に廃止できなかった。民間企業にとって、状況はさらに厳しい。

ただし、河野大臣の宣言には効果があった。「FAXを使っていること自体が問題だ」という認識が広まった。2020年以前は「FAXは当たり前」だったのが、2020年以降は「FAXはできれば減らしたい」に変わった。認識の変化は、行動の変化の前提条件だ。


海外との比較

アメリカ

アメリカでもFAXは残っているが、日本ほどではない。特に医療分野ではHIPAA(医療保険の携行と責任に関する法律)の影響でFAXが根強いが、ビジネスの受発注ではほぼメールやEDIに移行している。

ドイツ

ドイツはFAX利用率が比較的高い先進国として知られていたが、2020年代に入って急速に減少。連邦政府が「デジタル化法」を推進し、行政手続きのオンライン化を法律で義務付けた。

韓国

韓国は1990年代後半のアジア通貨危機をきっかけにIT化が急速に進み、FAXはほぼ姿を消した。政府主導のIT投資と、若い人口構成が背景にある。

日本が「取り残された」理由

日本のFAX残存率が高い根本原因は、技術の遅れではない。

  • 中小企業の割合が高い(全企業の99.7%)
  • サプライチェーンが長い(多段階の卸売構造)
  • 取引先の変更コストが高い(長期的な取引関係を重視)
  • 高齢化が世界で最も進んでいる

これらの構造的要因が重なって、「FAXを使い続ける」のが合理的な選択になってしまっている。


FAXをやめるための現実的なステップ

「明日からFAXをやめよう」は機能しない。構造的なロックインを解除するには、段階的なアプローチが必要だ。

ステップ1:受信だけをデジタル化する

FAXを送り続ける相手に「やめてくれ」とは言いにくい。ならば、受信側だけを変える。

FAX複合機の設定で、受信したFAXを自動的にPDFに変換してメールに転送する。あるいは、eFax等のクラウドFAXサービスを使って、FAX番号はそのまま、受信だけをデジタルにする。

取引先は今まで通りFAXを送る。こちらはPDFで受け取る。紙は出力しない。

ステップ2:新規取引先からはデジタルにする

既存の取引先にFAXをやめろとは言いにくいが、新しく取引を始める相手には「うちはメールで発注書を送ります」と最初から伝えられる。

新規取引先が増えるほど、FAXの比率は自然に下がる。

ステップ3:影響力のある取引先から巻き込む

取引先の中で最も発注量が多い上位5社に、デジタル移行を提案する。上位5社がデジタルに移行するだけで、受信FAXの半分以上が減ることも多い。

残りの小口取引先は、クラウドFAXでPDF受信しながら徐々に移行する。


FAXがなくなった世界

FAXが完全になくなった世界を想像してみる。

朝、出社してパソコンを開く。受発注システムの画面に、昨日の注文が一覧で並んでいる。取引先名、品目、数量、単価、合計。すべてデジタルデータだ。

このデータをそのまま会計ソフトに連携すれば、請求書が作れる。全銀フォーマットで振込データを出せる。在庫管理システムに反映できる。

FAXで受け取った注文書を、人間が目で読んで、手で入力して、別のシステムに打ち込む。この工程が丸ごとなくなる。

それが「FAXがなくなった世界」だ。データが紙を経由せずに、システムからシステムへ直接流れる。


まとめ

日本の受発注がまだFAXなのは、技術の問題ではない。構造の問題だ。

  1. 取引慣行のロックイン:二者間の合意がなければ変えられない。チェーンの最弱リンクがFAXなら、全体がFAXになる。
  2. 法制度の慣性:電子帳簿保存法が逆にFAX継続のインセンティブを生んでいる。
  3. 世代とリテラシー:経営層の高齢化と「紙のほうが安心」の心理バイアス。
  4. 移行コストの非対称性:「今のまま」のコストは見えず、「変える」コストは見える。

これらは技術の進歩だけでは解決しない。認識の変化、取引先との合意形成、段階的な移行計画。FAXをやめるのは、テクノロジーの導入ではなく、組織と取引関係の変革だ。

1843年に発明された技術が2026年にまだ現役。これは「日本が遅れている」のではなく、「構造的にFAXが合理的であり続けてきた」の結果だ。その構造が変わるかどうかは、個々の企業が「変える」と決めるかどうかにかかっている。


この記事の情報は、総務省「通信利用動向調査」、中小企業庁「中小企業白書」、各種報道資料に基づいています。

Saturn — AIが動くExcel

14日間無料トライアルあり。

無料ではじめる →