「うちの経理、何にそんなに時間がかかっているんだ」
中小企業の経営者が一度は抱く疑問だ。
答えは単純で、データの転記に時間が消えている。
あるシステムに入っているデータを、目で読んで、別のシステムに手で打ち込む。この作業が、中小企業のバックオフィスのあらゆる場所で、毎日繰り返されている。
転記が発生する場所
中小企業の典型的なバックオフィス業務を棚卸しすると、転記作業がどれだけ遍在しているかが分かる。
経理・会計
| 業務 | 転記元 | 転記先 | 発生頻度 |
|---|---|---|---|
| 受注→請求書 | 受発注システム(COREC等) | 会計ソフト(freee等) | 受注のたび |
| 請求書→振込 | 請求書PDF | ネットバンキング | 月末 |
| 経費精算 | レシート・領収書 | 会計ソフト | 月次 |
| 売上集計 | ECサイト・POSレジ | 会計ソフト | 日次〜月次 |
| 入金消込 | 通帳・ネットバンキング | 会計ソフト | 月次 |
営業
| 業務 | 転記元 | 転記先 | 発生頻度 |
|---|---|---|---|
| 名刺→CRM | 名刺管理アプリ | CRM(Salesforce等) | 商談のたび |
| 問い合わせ→CRM | メール | CRM | 問い合わせのたび |
| 見積→受注 | 見積書 | 受注管理システム | 成約のたび |
| 商談記録 | メモ・頭の中 | CRM | 商談のたび |
人事・労務
| 業務 | 転記元 | 転記先 | 発生頻度 |
|---|---|---|---|
| 勤怠→給与 | 勤怠システム | 給与計算ソフト | 月次 |
| 応募者情報→管理表 | メール・求人媒体 | Excel・ATS | 応募のたび |
| 入退社手続 | 提出書類 | 社労士システム | 入退社のたび |
総務・その他
| 業務 | 転記元 | 転記先 | 発生頻度 |
|---|---|---|---|
| 契約管理 | 契約書PDF | Excel・契約管理ツール | 契約のたび |
| 在庫管理 | 発注書・納品書 | 在庫管理Excel | 入出荷のたび |
| 備品管理 | 購入レシート | 管理台帳 | 購入のたび |
業務ごとの転記時間を計測する
それぞれの転記作業に、実際にどれくらいの時間がかかっているのか。1件あたりの所要時間と、典型的な月間件数から推定する。
受注→請求書の転記
1件あたり:約2〜3分
受発注システムで受注詳細を確認し、会計ソフトで請求書を新規作成し、取引先を選択し、品目・数量・単価・税率を入力する。
| 月間受注件数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 20件 | 40〜60分 |
| 50件 | 100〜150分 |
| 100件 | 200〜300分(3〜5時間) |
請求書→振込データの転記
1件あたり:約3〜5分
請求書PDFを開いて銀行名・支店名・口座番号・金額を読み取り、ネットバンキングに入力するか、Excelに転記して全銀フォーマットに変換する。
| 月間請求件数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 10件 | 30〜50分 |
| 30件 | 90〜150分 |
| 50件 | 150〜250分(2.5〜4時間) |
名刺→CRMの転記
1件あたり:約2〜3分
名刺アプリからCRMに、会社名・氏名・役職・メールアドレス・電話番号を手入力する。商談メモがあればそれも追記。
| 月間名刺枚数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 20枚 | 40〜60分 |
| 50枚 | 100〜150分 |
| 100枚(展示会月) | 200〜300分(3〜5時間) |
メール問い合わせ→CRM/管理表の転記
1件あたり:約3〜5分
Gmailの問い合わせメールを開いて、差出人名、会社名、問い合わせ内容を読み取り、CRMやExcelの管理表に分類しながら転記する。
| 月間問い合わせ件数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 10件 | 30〜50分 |
| 30件 | 90〜150分 |
| 50件 | 150〜250分(2.5〜4時間) |
勤怠→給与計算の転記
1件あたり:約1〜2分(従業員1人分)
勤怠システムからCSVをエクスポートして、給与計算ソフトにインポートする……と言いたいところだが、フォーマットの不一致があるため、Excelで手修正が入ることが多い。残業時間の端数処理、有給休暇の残日数確認、各種手当の反映。
| 従業員数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 10人 | 10〜20分 |
| 30人 | 30〜60分 |
| 50人 | 50〜100分 |
経費精算の転記
1件あたり:約2分
レシートや領収書をスキャンして、日付・金額・支払先・勘定科目を会計ソフトに入力する。
| 月間経費件数 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 30件 | 60分 |
| 100件 | 200分(3時間20分) |
| 200件 | 400分(6時間40分) |
合計すると
従業員30人、月間受注50件の中小企業を想定して合算してみる。
| 業務 | 月間転記時間 |
|---|---|
| 受注→請求書 | 125分 |
| 請求書→振込データ | 120分 |
| 名刺→CRM | 75分 |
| 問い合わせ→管理表 | 90分 |
| 勤怠→給与計算 | 45分 |
| 経費精算 | 150分 |
| その他(在庫、契約等) | 60分 |
| 合計 | 665分(約11時間) |
月間約11時間。年間132時間。
営業日が月20日だとすると、月に約半日分の業務時間が転記に消えている。
しかもこれは「順調に転記できた場合」の数字だ。転記ミスの発見と修正、画面の読み込み待ち、電話やチャットでの中断、参照先の確認。実態はこの1.5〜2倍と考えるのが妥当だ。
実質的には、月16〜22時間。年間200〜260時間。丸10日以上が転記に消えている。
転記ミスのコスト
時間だけではない。手作業にはミスが伴う。
人間の転記ミス率は一般に2〜5%と言われている。月間500件の転記作業を行う場合、3%のミス率なら月15件のミスが発生する。
ミスの種類と影響
| ミスの種類 | 発生場面 | 影響 |
|---|---|---|
| 金額の打ち間違い | 請求書→振込 | 過払い・不足→組戻し手数料880円 |
| 口座番号の入力ミス | 振込データ作成 | 振込失敗→手数料+再手続き |
| 取引先の取り違え | 受注→請求書 | 誤請求→取引先との信頼失墜 |
| 税率の間違い | 請求書作成 | インボイス制度違反リスク |
| 勤怠時間の転記ミス | 勤怠→給与 | 給与計算ミス→従業員の不信感 |
| 二重入力 | 各種転記 | データの重複→集計の狂い |
金銭的な損失だけでなく、ミスの発見・修正にかかる時間、関係者への謝罪・報告の時間、信頼回復にかかるコスト。これらは転記時間には含まれない「隠れたコスト」だ。
なぜ転記は減らないのか
SaaSが普及して、個別の業務は効率化された。freeeで請求書を作るのは、紙の伝票を書くより速い。Eightで名刺を管理するのは、名刺ホルダーを繰るより速い。
でも、ツール間のデータ移動は効率化されていない。
freeeの中は速い。Eightの中は速い。でもEightからfreeeにデータを移すのは、人間の手作業だ。
これは各SaaSの責任ではない。連携を作るかどうかはビジネス判断であり、すべてのSaaS同士をつなぐことは物理的に不可能だ。
結果として、SaaSの島と島の間を、人間がボートで行き来している。
「Excelで管理すればいい」の限界
「だったらExcelに全部入れればいい」という考え方もある。
事実、多くの中小企業はExcelを中間層として使っている。CORECからCSVで出して、Excelで整形して、freeeにインポートする。Eightからエクスポートして、Excelで加工して、Salesforceにインポートする。
Excelは万能だ。どんなフォーマットにも対応できる。計算もできる。マクロを書けば自動化もできる。
問題は2つ。
- CSVフォーマットの変換は手作業:列名の変更、日付形式の変換、コードの対応付け。毎月やる。
- マクロを書ける人が辞めたら止まる:Excel VBAの属人化問題。RPAと同じ構造。
人件費に換算する
転記作業の時間を人件費に換算してみる。
バックオフィス担当者の時給を2,500円と仮定する(年収400万円、年間1,600時間稼働)。
| 企業規模 | 月間転記時間(推定) | 年間転記時間 | 年間人件費 |
|---|---|---|---|
| 従業員10人 | 5〜8時間 | 60〜96時間 | 15万〜24万円 |
| 従業員30人 | 11〜22時間 | 132〜264時間 | 33万〜66万円 |
| 従業員50人 | 20〜35時間 | 240〜420時間 | 60万〜105万円 |
| 従業員100人 | 35〜60時間 | 420〜720時間 | 105万〜180万円 |
従業員50人規模の会社は、年間60万〜105万円を「データをコピーして貼り付ける」作業に払っている。
この金額で何ができるか。新しいSaaSを1つ導入できる。バイトを1人雇える。展示会に1回出展できる。あるいは、100時間分の「本来やるべき仕事」に充てられる。
「自動化すべき」ではなく「自動化されるべきだった」
転記作業は、本来人間がやるべき仕事ではない。
データはすでにデジタルで存在している。CORECの中に受注データがある。Eightの中に名刺データがある。Gmailの中に請求書PDFがある。すべてデジタルデータだ。
デジタルのデータを、人間が目で読んで、手で打ち直して、別のデジタルシステムに入れる。これはアナログ時代の名残だ。紙の伝票を転記していた時代のワークフローが、SaaSの時代にもそのまま残っている。
ツールがクラウドになっても、ワークフローがクラウドになっていない。
何を自動化すべきか
すべての転記を一度に自動化する必要はない。効果の大きいものから順に。
優先度の判断基準
| 基準 | 高優先度 | 低優先度 |
|---|---|---|
| 月間件数 | 50件以上 | 10件未満 |
| 1件の所要時間 | 3分以上 | 1分未満 |
| ミスの影響 | 金銭的損失あり | 影響が小さい |
| 頻度 | 日次・週次 | 年1〜2回 |
| 判断の有無 | 判断不要(コピペ) | 判断が必要 |
「月50件以上 × 1件3分以上 × ミスの影響が大きい × 判断が不要」に該当する業務が、自動化の最有力候補だ。
多くの中小企業では、受注→請求書と請求書→振込データがこの条件に当てはまる。月間の合計時間が最も長く、金額のミスが直接的な損失につながり、作業自体に判断は不要だ。
まとめ
中小企業のバックオフィスでは、月間11〜22時間、年間130〜260時間が転記作業に消えている。
転記先がfreeeでもマネーフォワードでも、転記元がCORECでもEightでも、構造は同じだ。デジタルのデータを、人間がアナログ的に読み取って、別のデジタルシステムに手で入力する。
この作業には人件費がかかり、ミスが混入し、本来やるべき仕事の時間を奪う。
ツールは進化した。しかしツール間のデータの「橋渡し」は、いまだに人間の手に委ねられている。
月に11時間。年に130時間。この数字を「仕方ない」と受け入れるか、「なくす」と決めるか。それはバックオフィスの運用方針の問題だ。
この記事の転記時間は、中小企業の一般的な業務フローに基づく推定値です。実際の時間は業務内容、ツールの種類、担当者のスキルによって異なります。